DRAKEの歴史と買取中のモデルについて
Drakeは海外の無線メーカーでも比較的日本でも馴染み深いブランドです。
Drakeの代表、ロバート・ロイド・ドレイクは4人兄弟の長男で、シンシナティ大学で電子工学を学び、1930年代に卒業後
Dayton Radio Coのエンジニアとして入社。
その後、アメリカのプライベートジェットメーカー大手のリアジェットのグループ会社、Learaviaの技術部門に就任しました。
趣味が高じて自身の会社を立ち上げる
当時からDrake氏はアマチュア無線に没頭していて、純粋に交信をしてコミュニケーションを楽しんだり
仲間内で送信や受信の性能を改善するため無線機の改造なども行っていたそうです。
そして趣味が高じてLearaviaという優良企業の肩書きを捨て、無線機メーカーとしての道を進むことを決意。
3人の協力者を集め、オハイオ州にあるデイトンにR.L.Drake Companyを設立しました。
当時は主にアマチュア無線と軍事向け製品のローパス・ハイパスフィルタの開発・生産を行っていました。
これはおよそ40年以上にも続くDrakeの要ともいえる事業となりました。
第二次世界大戦が終わると情勢により景気が後退。これはDrakeも例外ではなくしばらくはフィルター生産で厳しい時期を乗り越えていきました。
本拠地を移転
1953年、Drakeはマイアミズバーグへ会社を移します。
その後はHRO、National、Collinsの関連アクセサリ類の生産に注力します。
その傍らで自身が所有するハマーランドの受信機の性能をもっと引き出せないか試行錯誤を行い
やがて独自のレシーバーの開発を開始。モデル名は1-Aと名づけられ、細長く、アメリカのポストのような形は従来の受信機とはまったく異なる形状でした。
1-Aを完成させたDrakeですが、それを量産するには莫大な資金が必要となる問題に直面し、NationalやHammarlund、Hallicraftersといった当時の大手ラジオメーカーに自身のデザイン、設計を売り込むことにしました。が、いずれも期待通りにはいかず1-Aの量産体制の確立は困難をきわめていました。
そこに転機がおとずれます。友人のハム仲間がアマチュア無線機関連のサプライヤーで、1-Aの可能性を見出し量産を支援しました。
1-Aの本格的な製造が開始され、完成したファーストロットは10台。直感的な操作性、メンテナンス性で高性能が揃った1-Aはユーザーから非常に好評で
真っ黒なキャビネットの風貌から「ブラックボックス」という愛称がつけられました。
この成功によってDrakeは次々に新しいモデルの開発に着手。その歴史は現在でも続いています。
Drakeの買取について
同社のモデルは基本的にほとんどのモデルが買取対象となっております。
真空管式から新しい型まで喜んで買取させて頂きます!